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3つの転換期


=創成期~近代=                         鋳物師として招かれた創成期から近代まで

天正12年(西暦1584年)、松本領主小笠原貞慶が、初代濱伊右衛門清賢を相模国鎌倉郡由比より松本へ招き、松本城近くにて創業。ここで信濃国の武具や仏具などを製造する「勅許御鋳物師(いもじ)」として、その後、当時の日本の鋳物界を握る真継家と結びつき、受領の「石見掾」が与えられ相談役となる。
1960年代まで旧社屋があった松本市飯田町は小笠原氏が慶長18年(西暦1613年)飯田から移封されて松本に戻った際に連れてきた鋳物師や鍋屋、石屋などの職人が多く住み着いたといわれる。

松本商工会議所が表彰した創業100年以上の老舗企業の中では最古の天正3年(西暦1575年)創業の尾張屋染物本店に継ぎ2番目。

その後、塩尻市片丘の牛伏寺の鐘(清綱作)や現在も弊社玄関入口に木型が残る安曇野市三郷の住吉神社「坂上田村麿呂公像(年代不祥)」(八面大王を退治した故事に由来、現物は太平洋戦争時に供出)など、松本近隣の神社仏閣の鐘や銅像等を多数手掛ける。明治以降は農機具、生活必需品、製糸機械、軍需品などを生産。

  • 昭和11年(西暦1936年)、合資会社濱鉄工所
  • 昭和28年(西暦1944年)、合資会社大和製作所を経て、
  • 昭和21年(西暦1953年)、株式会社大和製作所が誕生。戦後のモータリゼーションの流れを受け、オートバイやトラクター用のブレーキドラム等を中心に製造。
  • 昭和37年(西暦1962年)、塩尻市広丘へ移転。この頃、小型トラック用の排気管からエキゾーストマニホールドの製造始まる。