エンジン部品、自動車部品等鋳造品の製造及び機械加工なら長野県塩尻市のヤマトインテック

モノづくり、私のヒストリー


代表取締役社長 芦澤亮夫

鋳物のすべてを経験したからこそ、 どの部署の気持ちも立場もわかっているつもりです。


私は飯田出身なので東京の大学を出たら地元に帰ろうと思っていたのですが、大学の夏休みに工場見学で当時の大和製作所にきたとき、男が裸で仕事をしている様や、工場内の活気に圧倒され、ここに入ろうと決めました。

424年前に大和製作所の前身がはじまった松本の飯田町は、飯田から移封され松本に戻った小笠原氏が飯田から鋳物師や鍋屋、石屋などの職人を多く住まわせた場所といわれていますが、私の故郷飯田とこんなつながりがあったのも何かの縁かもしれませんね。

私は化学科出身なので、鋳物とは直接関係なかったのですが、偶然鋳物の中子に使うフェノール樹脂が卒論だったことにも縁を感じます。会社に入るとすぐ実習がはじまり、鉄を溶かすところから鋳物のすべてを経験しました。これは今でも良い経験だったと思いますし、社長となった今ではすべての部署の人の気持ちや立場がわかることが財産です。


モノづくりに夢中でここまできた。
ここには、がんばる人すべてが報われる土壌がある。

その後は、新鋳造技術Vプロセスの開発プロジェクトのリーダーとして、プロセスの開発と事業化にひたむきに取組み、皆で成功を果たしました。そして大河内記念技術賞を受賞し、会社がエクステリア事業で大きく飛躍する道筋となりましたが、いいことばかりが続いたわけではありません。

私が社長に就任した1996年頃は業績も悪化、方向転換がせまられ、ヤマトの得意は何だったのか、ヤマトにしかできないことは何なのかを考えたとき、ターボチャージャーへの特化を目指すことが決まりました。ここから新たな快進撃が、工場技術者の死にものぐるいの努力の結果、お客様にも営業部を通じて当社のベアリングハウジングにかける品質と技術、そして思いが通じ、現在ターボチャージャー部品では世界シェア10%のところまできています。

会社を創設したのは鋳物師だった濱一族ですが、先代の16代の中野社長以降は一族以外が社長となっており、今のヤマトは学歴や経歴、年齢に関係なく、努力したもの、結果をだしたものがどんどん登用されていく会社だと思います。

モノづくりが好きで夢中で努力していたらここまできた、だから若い人も、どんな経歴の人も、モノづくりが好きなら認められ、がんばれる土壌がここにはある、どんどん私に続く人材が育ってほしいし、育てていきたいと思っています。