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モノづくり、私のヒストリー


専務取締役 村山正博

未来のために打って出た大きな賭けも、 会社はずっと信じてくれた。

早稲田大学在学中、当時大和製作所から大学の鋳物研所に研修に来ていた野崎君(現常務)と同じ教授について学んだのですが、そんな出会いも手伝って大和製作所へ見学に来ました。丁度キュポラの吹き仕舞いを見る事ができ、真っ白に燃え盛るコークスの山に魅了されてこの世界に入ろうと決めました。

広丘の駅から見えるキュポラが、白い煙を勢いよく噴き出していた頃です。1977年の入社当初も今と同じくエキゾーストマニホールドが主力製品でありましたが、材質はまだまだ低品位で、ちょうど客先から耐熱性の高い材質を要求されだしていた頃です。

一部のマニホールドが他社に転注されるなど事態は深刻でした。急遽耐熱ダクタイル鋳鉄の生産テストが開始され、入社2ヶ月でプロジェクトに入れてもらえたことは大変幸運でした。技術や設備の改革を進めて行くなか、1981年に私たちが設置した高周波誘導炉は東洋一のハイパワー炉として脚光を浴びました。このような鋳鉄溶解は冶金学的にも未知の領域であり、まともな製品はできないという風評も強かった時代です。


当時これだけのハイパワー設備は不要でありましたが、会社の将来への可能性を広げたいと強行し、かなりの資金を投入させてもらいました。正直にいえば、個人的な探究心も大きかったと思います。

その後も、1988年より当時衰退の一途だった鋳鉄部門の造型ライン更新(APKライン)計画に着手、1993年の完成にかけて膨大な投資を行いました。
そんな強攻計画に資金を出し、いつも信じてくれた会社をたいへん有難く思っています。



一時は多額の設備投資に耐え切れないかも・・・という苦難もありました。
しかし客先のニーズを先取りして会社の強みとマッチングさせ、今では幾多の先行投資と技術が日の目を見ることになり、会社に貢献する結果となったことに安堵しています。

野心旺盛な挑戦にたいへん寛大な会社であったことは、私にとって有難いことでしたし、それに報いることができたことは誇りでもあります。

つい先日、27年前に設置した溶解設備を世界初のシステムにリニューアルする事もでき、また新たな課題が待っています。
今は亡き恩師に「エンジニアは勘が第一、そして何をしたらどうなったか・・・この事実を直視しろ」と教えられました。考え迷いそして決断して実行する、これをどれだけ深く・数多く繰り返すことにより勘は磨かれると思います。
「これで終わり・・・」はありませんね。