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モノづくり、私のヒストリー


常務取締役 事業本部長 野崎良司

技能五輪県大会優勝をきっかけに早稲田の研究生に、会社は常に研究と学ぶ機会を与えてくれた。

工業高校を卒業した1973年の3月末、当時の大和製作所に入社しました。そしてすぐに鋳造の最前線へ、現場の環境が今よりかなり厳しかった時代です。

そんなキツい現場で2年が経った頃、技能五輪に出場する機会を経て、県大会で優勝、会社で初めて全国大会へも行くことになりました。これがきっかけで、会社から早稲田大学の鋳物研究所へ研修生として2年行かせてもらうことになったんです。ここで当時早稲田の学生だった村山専務との出会いもありました。


会社へ戻ると、今度は鋳造の技術部へ配属になり、当時の濱社長と新プロセスを世界に広めるために、糊鋳型のプロセスと造型機の開発に取り組みました。ここでは環境負担軽減と崩壊性改善を目的に、砂に澱粉を混ぜた鋳型で特許を取りました。新プロセス開発にむけ投資を惜しみなくしてもらい研究に明け暮れた日々は掛け替えのない宝ですし、会社の力にもなったと思います。

その後は成長分野である、アルミ工場でエクステリア製品の創成期に携わり、今の芦澤社長と共に様々な商品開発や、主力ラインであるVプロセスの生産性向上を手掛け、エクステリア事業は当社の主力となりました。

また大型の金型で門扉・フェンスを鋳造するTNCプロセスでは、プラント開発・技術開発に成功しました。この後エクステリア業界は、成熟産業となりメーカーから厳しいコストダウンを迫られ縮小、次に素形材の時代がやってきました。その後は事業本部長として、縮小する景観工場とこれからメーカーからの需要が一層増えていく加工工場を一手に引き受けています。

仕事では研究に明け暮れた毎日でしたが、組合活動では書記長を経験し、社内の和づくりにも励みました。当時組合は労使協調の時代に入っていましたから、メンバーと共にイベントやバス旅行を企画し、組合員の心をまとめることが大切な活動でした。そんな組合時代に築いた人をまとめるノウハウで組織の結束を高めていければと思っています。

特に加工工場は、お客様からの加工一貫の要望が一層高まるので、組織力を高め加工工場の大いなる発展が次の目標です。