visionヤマトインテックについてヤマトインテックが掲げる4つのキーワード

創業430有余年の歴史

弊社は1584年(天正12年)創業です。日本は安土桃山時代で「小牧・長久手の戦」が起こった年にあたり、世界ではガリレオ・ガリレイが「振り子の等時性」を発見した翌年に産声をあげました。信濃国の武具などを製造する「御鋳物師(いもじ)」として当時の正親町天皇から勅許をいただきました。以来436年にわたってその灯火を絶やすことなく、信州松本を拠点に鋳物製造を営んでまいりました。

このように何世代にもわたって連綿と繋いできた鋳造のノウハウこそが、私たちのアイデンティティです。長く鎖国が続いた江戸時代も、西欧化が急速に進んだ激動の明治以降も、そして戦後の高度経済成長期も。時代がうつろってニーズは変わろうとも、「鋳物は不滅」なのです。私たちは求めに応じて多種多様な鋳造品を世に送り出しながら、社会を下支えする礎となってまいりました。

複合的な鋳造メーカーに

急速に進歩する社会のニーズに応じるためには、常に変化する必要があります。ひと昔前までは「オンリーワン」というキーワードを掲げていましたが、今やそれは大前提。そこで新たに確立したいのが、「複合的な鋳造メーカー」としてのヤマトインテックです。長きにわたる歴史などを踏まえた弊社のブランド力は、ありがたいことに得意先・同業他社からも信頼を勝ち取ることができております。

一般社団法人日本鋳造協会の統計データによると、従業員数300〜500人の会社で月産700〜1000トンの生産量。弊社は従業員数300人に満たない規模でありながら、月産700〜1000トンの生産能力があります。このほかにも各種指標をトータルすると非常にハイレベルな位置におり、鋳造と関連性がある砂メーカー、金型メーカー、中子メーカー、機械装置メーカーなどから注目されています。このほか重要得意先と各種メーカーとの間に立って窓口機能を集約し、鋳造のエキスパートとして相互に支え合いながら発展していきたいと考えています。

新たな分野への挑戦

信濃国の武具や仏具などを生産していた創業当時〜近代を境に、ニーズは大きく変わりました。戦後はモータリゼーションの流れを受けてオートバイやトラクター用のブレーキドラムなどを中心に製造。1960年代には小型トラック用のエキゾーストマニホールド(排気管)が中心となり、70年代後半にはエクステリア分野を拡大しました。そしてバブル崩壊後の90年代はターボチャージャーと、新たな市場を見込んで時代を先取りしてきました。

そして現在も、新たなチャレンジの岐路に立っています。その一つがグリーンエネルギー。脱炭素をめぐる動きが経済界で急速に進み、政府も2050年までに温室効果ガス排出量を実質ゼロとする目標を宣言しました。グリーン設備には鋳物製品が多く使用され、特に油圧部品には弊社が培ったベアリングのノウハウも大いに活用できます。このように常に挑戦する精神を忘れず、今後の100年を見据えた強靭な企業にしていきたいと考えます。

グローバルな事業展開

現在は海外市場、特にアジア諸国との密接な関わりが欠かせません。弊社は2013年からフィリピンに工場レンタルと生産設備を移設し、ベアリングハウジング製造工程の一部委託操業をスタートさせました。そして17年にはフィリピンに合弁会社YNPCを設立し、それと同時に生産設備を増強。順調に推移し、20年にはYNPCの合併を解消して独立資本の子会社にステップアップしました。

それと同時に重要視しているのが、今やGDP世界2位の大国となった中国です。コストパフォーマンスの良い鋳物製品は中国で多く生産できますが、日本の得意先が直接交渉するためには高度に専門化した知識がベースとなるため、そのハードルは決して低くありません。そこでヤマトインテックが窓口となり、最適な製造工程の提案やトラブルシューティングなどを通じて存在感を強めていきたいと考えています。